フェイブルマンズ

イオンシネマ高の原で、スティーブン・スピルバーグ監督『フェイブルマンズ』(2022年)を見てきた。

正直見る前は、「見たいのだけど、これが映画愛とやらに溢れた映画だったら嫌だなー」というのは正直言ってあった。白状しとこう。

でも実際に見てみると、そうでもなかった。無邪気な映画愛を謳歌するような映画でもなかったな、と思ってホッとした。

そりゃ、確かにスピルバーグの分身となる主人公の少年が初めて映画を見て目覚める的な最初の場面を見ていると、うわ、「映画好き好き」映画なのかと一瞬ビビるのだが、そこから映画(『地上最大のショウ』)の「衝突」場面に執着していくというあたりから、「ん? これはただの無邪気な映画愛じゃあねえなあ」と思い始めた次第。

実際この映画は、無邪気な「映画好き好き」映画というよりも、スピルバーグ自身の自伝的な、ある種のプライベートフィルムとも言うべき映画で、ただプライベートフィルムというには随分金のかかった映画ではあるのだが、その意味では万人が見て「映画愛に溢れた良い映画ですねえ」みたいな感じにはならない。むしろ「映画」というものが、夢や興奮を与えてくれるものであると同時に、如何に陰惨なものであるかを描いて見せるあたりが、とてもいい。

興味深いのは、父と母、そして父の同僚の3人の描写が、見えないところで様々な葛藤があっただろう(それを匂わせる台詞は幾つか出てくる)が、最終的にはそれでも幾分綺麗に収まっているところだ。まあ、実際にもそういうふうにうまく(?)落ち着いたのかもしれない、ある意味「出来た」大人だったのかもしれない。

「ただ、そこで主人公が母親に対してああいう行動に出ずに、そのまま放置して、ただただ静観していたら、3人の関係はどうなっていただろうねえ。映画で描かれる以上に相当ドロドロした関係になって、物凄い陰惨な顛末を迎えたんじゃないか。そして、その関係の変遷をただジッとキャメラを据えて撮るように静観していたら、怖い、怖い子、この子は今のスピルバーグとは全く違う映画人生を歩んだかもしれないねえ…………」

と「私の中の淀川長治」が私に向かって語りかけてきて、家に帰る間、非常に困りましたw そうなると最後の対面シーンの相手はフォードじゃなくて溝口になっていたかも(大嘘)。

とまあ、それは冗談だが、でもあのお母さんがペットに小猿を飼い始めるところは、一瞬「スピルバーグが、大島渚へのオマージュか!?」と一瞬激しい妄想が。近いうちに大島渚の『マックス・モン・アモール』を再見したくなりましたw

あと思ったのは、成長した主人公を演じた男の子が、なんかジャン・ピエール・レオーを思い出して仕方がなかったこと。スピルバーグはこの男の子を主人公にして、自身の女性遍歴を踏まえたその後の人生を映画化すればいいんじゃないか。というか、是非見たい。そして、最後のキャメラの動き、あれは凄く凄く微笑ましかったです。