月は上りぬ

(ネタバレ、あります)

JAIHOの配信で見た田中絹代監督『月は上りぬ』(1954年)を見た。

奈良に暮らす三姉妹の恋模様を描く。

中心になるのが北原三枝が演じる三姉妹の三女・節子なのだが、最初出てきたとき若いというよりは子供っぽい、それもちょっとやんちゃが入ったような感じで、山根寿子の長女・千鶴、杉葉子の次女・綾子の大人という感じとは実に対照的。近くの寺に下宿する青年・安井(長女の亡き夫の弟でもある)と三女とは何かと一緒にいるようだが、明らかに恋仲というよりかは、年上のちょっぴり不良なお兄ちゃんに年下のお嬢ちゃんが遊びに来てるという雰囲気。そこへ東京から仕事で関西にやってきた安井の友人・雨宮と次女の綾子とが互いに気があるのではと気付いた三女の節子が、周りを巻き込んでお節介を焼き始めるあたりから、映画がますます微笑ましくなってくる。

興味深かったのは、この三姉妹一家や周囲の人物の殆どが関西の言葉を話さなかった点。そもそもこの三姉妹と父(笠智衆)の一家は、戦時中に東京から疎開してきてそのまま居着いてしまったという経緯がある。周囲の人物も、台詞を聴いている限りでは、東京にいた頃から繋がりがあったように思われ、もしかしたらそれぞれに事情があって関東から関西へ居を移したのかもしれない。逆に下働きさんや女中さんはその言葉遣いからおそらくこの地、または近くで生まれ育った人と思われる。この下働きさんを田中絹代が演じていて、北原三枝との軽妙なやりとりから様々なギャップが想起されて、なかなかケッサクな場面だったが、同時にこの映画が「奈良の人々の映画」というより、「奈良に移り住んだ東京の人の映画」という印象を抱いてしまうのは私だけだろうか。

映画のラストは、ある意味、脚本を書いている小津安二郎の映画のバリエーションなのだが、父親から図星を言い当てられた長女・千鶴の山根寿子、そんな長女を後押しする父親の笠智衆、それぞれが演じた人物の陰影が深く刻まれる。同時にその場面で写される庭がどこか雑然とした寂しさを伴うものに見えてくる。このお父さんは、東京には戻らないどころか、ここで骨を埋める気でいるのだろうか。

それまで微笑ましい恋愛喜劇だったのが、そこで突然ドキリとさせられる。