剣に賭ける

シネマ映画.comの「大映映画祭」から、田中徳三監督『剣に賭ける』(1962年)を見る。

すいません。のっけからなんですが、私、この映画の主人公である「千葉周作」のこと、全然知りませんでした(おい!)。

それどころか実在の人物であることすら知りませんでした(おいおい!)。

さっき、Wikipediaを見たら漫画「赤胴鈴ノ助」のモデルになった人物とあって「へ~」と思ったり(おいおいおい!)。

つまり、そんな程度の知識しかない私が何故わざわざこの映画を見たかというと、田中徳三監督の映画だったから。しかもシネ・ヌーヴォでやっていた田中監督の特集でもかかっておらず、市川雷蔵主演作とはいえ関西ではあんまり上映されてないのではないかなー。そういうレアな面にも惹かれたから。ちなみに今回が「本邦初配信」らしい。

 

で、映画を見た。

確かに最後まで楽しく見てはいたのだが、その一方で主人公の千葉周作市川雷蔵)が何を悟り、何を会得したかというのが、見ていてよく分からなかったというのが正直なところだった。

勿論、これは私が「千葉周作」に関することを一切知らないで見たのが最大の原因だと思う。私の無知が悪い。無知の馬鹿(笑)。ではつまんなかったかというと、全然そんなことはなくて、さっきも書いたが楽しく見たんだよね。そこがなんとも不思議。

思うに、もしこの「千葉周作」の葛藤や悟りを真正面から描こうとするなら、物凄く観念の世界に陥ってしまって、大映雷蔵映画のはずがATGばりの変な具合になってしまうんじゃないか(それはそれで見てみたい気もするが)。しかし、それでもなんとか映画として成立しなくてはいけないという中で、出来上がったのが本作ではないだろうか。だから、よく分からなくても画面は魅入る。少なくとも葛藤している感じはする。「助太刀はしないが見届けはする」という一連の場面でも、妙に暗い感じのセットや千葉の咄嗟の一声など、「なんだこれは!?」と思いつつ魅入ってしまうのだ。

あと個人的に印象深かったのがキャスティングで、浜村純と天知茂は特に詳しく台詞で説明している訳でもないのに、ちゃんとそのように見えて納得してしまうというのがなんとも不思議だった。特に天知茂の顔のアップには単なる仇討ち以上の邪悪な感じが天知の持つネットリとした色気と共に発していて、これは下手に説明を加えてしまうと台無しになってしまうなあと思うほどだった。

ただ、見終わって印象に強く残るのは、剣の話…ではなく、あの可哀想な芸者さんのくだりなんだよねえ。それに比べたら剣の話なんてどうでも…と、心の中で作り手が思ったかどうかは知らないけれど。

 

と、ここまで書いて、ネットで『剣に賭ける』のことを調べていたら、あらすじが書かれた文章に「千葉が道場を追われてから、赤子を持った狂女が出てきて、赤子を救い出す云々」というくだりが出てくるんだけど………配信で映画を見ててそんな場面、出てこなかったぞー。それとも私が誤って場面を飛ばしてしまったんだろうか? 確かにこの場面が無かったら、雷蔵の葛藤とか訳分かんないことになってるわなーと、ここにきて非常に焦り出す。しかし配信期間は終わってしまったので、今は確認することが出来ない。う~む。

問題の場面は実際にはあるのかないのか。さらに上映時間が71分と中途半端に短いことと、何か関係はあるのか。謎は深まるばかり。